ビル「人手不足の会社が倒れている。もう駄目だ。今から全員の給料を上げる!」
ボブ「朝礼で会社の未来を救うつもりが、いきなり金庫を開けたのか」
エビー「上げること自体はいいけれど、誰に、なぜ、どの原資で上げるの?」
ビル「従業員の心に答えたい。金額は今から決める」
ボブ「金額より先に演説を作るな」
エビー「それより、ニュースをちゃんと読んだ?」
ビル「人手不足関連の倒産が、十月に五十件。年初から十月までで四百十八件。これまで年間で最も多かった前年の三百九十八件を超えたんだ。経営者として、座っていられない」
ボブ「内容は読んだな。では、うちの離職の原因は?」
ビル「まだ誰も辞めていない」
エビー「なのに退職対策の結論だけ出たのね」

給料を上げれば、みんな残ってくれるはずだ
三人の会社は忙しい。納期を守るために人を増やしたいが、採用したからといって必ず売上が増えるとは限らない。ビルは新聞を机に置くと、採用広告の文案も広げた。「給与改定」「待遇一新」「成長企業」。具体的な仕事の説明は、紙の片隅に小さく押し込まれていた。
ボブ「募集する職種が見えないぞ」
ビル「魅力ある会社に見えることが先だ」
エビー「魅力を何で測るの?」
ビル「応募が集まること」
ボブ「採用してから何をしてもらうかは?」
ビル「応募が集まってから考える」
エビー「順番が逆さま。家を買ってから住む場所を決めるみたい」
公表された調査は、二〇二六年十月の人手不足関連倒産が五十件で、前年同月の三十七件を上回ったと示した。この五十件のうち、人件費高騰に分類されたものは三十二件、六四・〇%だった。人が採れないというだけでなく、待遇を守るために増えた費用が経営を圧迫する場合があることも読み取れる。ただし、集計の対象は負債額一千万円以上の倒産であり、日本中のすべての廃業や企業を数えたものではない。自社の将来の倒産確率を表す数字でもない。

ビル「じゃあ給料を上げても、倒れる可能性があるのか」
ボブ「上げなければ人が去る可能性もある」
エビー「どちらもあり得るから、情報が必要なんでしょう」
ビル「どっちを選んでも怖い」
エビー「怖いのは分かる。でも、怖さそのものを決裁書にできないわ」
そこへシルクワーク博士が来た。三人にとって年長の恩人であり、あいまいな言葉を聞くと静かに椅子を引く人だ。
博士「ビル君。君が守りたいのは給与の額か、人が働き続けられる会社か」
ビル「もちろん後者です」
博士「では、給料を上げるという手段に、自分の気持ちが先に結びついていないかを確かめよう。給与は大切だ。しかし離職や採用難には、仕事内容、上司との関係、勤務時間、育成、地域の労働市場、事業の将来性も絡む。ニュースの原因分類だけで、君の会社の原因を決めることはできない」
ボブ「まず求人を出す理由と、必要な働き方を調べる」
博士「そう。人が足りないのは、受注が増えたからか、仕事が偏っているからか、やり直しが多いからか。全員が忙しいように見えても、同じ工程で滞っているなら配置や手順を変える余地もある」
エビー「採用しない選択も、放置とは違うのね」
博士「採用の前に、何を任せ、どう育て、どんな成果を期待するのかを言葉にする。そうしないと、採った人も既存の人も苦しくなる」
ビルは手帳を取り出した。
ビル「でも社員に不満を聞いたら、みんな給料が欲しいと言うでしょう」
博士「欲しいという声と、今の会社を離れようとしている理由は同じとは限らない。本人にどう尋ねるかも大切だ。『給料が不満なんだろう』と決めつければ、相手は社長の考えに合わせて答えてしまう。働き続けるうえで困っていること、仕事が滞る場所、改善してほしいことを分けて聞こう」
エビー「話した人が不利益を受けないようにも考えたい」
博士「その配慮も欠かせない。聞くだけ聞いて何も伝えないなら、不信が増える。答えられることと、すぐには約束できないことを明確にするんだ」
ボブ「それでも賃上げが必要だと分かった場合は?」
博士「原資を確認する。単に今月の売上があるかではなく、継続的に支払えるか。賃金を変えると今後も固定的な負担が増える。売上の見込みを強気に置くだけではなく、受注が遅れた場合の資金繰りも確認する。給与は相手の生活に関わる。気分で宣言して、あとから撤回するものではない」
ビル「社員を安心させたいのに、自分が不安で約束を増やしていた」
博士「それに気づけたなら前に進める。『採れない、辞められたら困る』という恐怖は、経営者の心に非常に強い圧力をかける。しかし恐怖が本当だからといって、恐怖から生まれた最初の案が正しいとは限らない」

恐怖は本物でも、最初の案が正解とは限りません
博士はさらに、数字の見方を戻した。
博士「十月の五十件という数字は重大だが、原因ごとの企業数を見なければ、打ち手が乱れる。人件費高騰が三十二件だったことは、賃上げを否定する材料ではない。賃金だけを上げれば問題が必ず解ける、という思い込みを戒める材料だね。人材の確保と事業の採算を同じ表で見て、無理があるならどこで直すかを探す」

ボブ「求人を増やすだけでも、経費を削るだけでも、答えにならない」
博士「その通り。現場への負担を把握しないコスト削減は、残った人を疲れさせる。原資を考えない待遇改善は、会社を支える土台を弱める。両方を見続けるのが社長の仕事だ」
ビルは新しい募集文案に手を伸ばした。給与を上げる宣言はいったん止め、仕事の内容を現場と確認することにした。
ビル「社員には、会社の状況を説明する。聞いたことは整理して、何を変えられるか考える。値段のように、一斉に決める前に」
エビー「今日は珍しく、順序が合っているわね」
ボブ「ポスターの入稿を止めたのも進歩だ」
ビル「実はもう一枚だけ作った。『社員は宝』という横断幕」
博士「気持ちは伝わるね。だが、宝と呼ばれた社員が明日も安心して働けるかが肝心だ」
エビー「その幕、誰が掲げるの?」
ビル「全社員で」
ボブ「忙しい人を全員集めるのか」
ビル「じゃあ人を募集しよう。横断幕を持つ係として」
博士「採用理由がまた一つ増えてしまったね」

横断幕を持つ係、仕事内容は明確ね
人手不足のニュースは、経営者に急いで何かを変えろと迫る。しかし本当に急ぐべきなのは、従業員の困りごとと会社の採算を同時に確かめることだ。安心を演出する言葉より、守れる約束を増やしたい。
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出典
東京商工リサーチ「『人手不足』関連倒産動向」(2026年11月6日公表)
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