東京なら採れるはず?――求人倍率を地図から切り取る社長

社長、採用の地図を塗る

ビル「勤務地を変えれば応募が来る! 今日から全員、求人倍率が低い地域の社員として募集しよう」

ボブ「社員はここにいるだろう。通勤場所が変わるのか?」

ビル「求人票の地名だけ変える」

エビー「それは採用戦略ではなく住所の誤表示よ」

ビル「だって地域で倍率が違うんだ。数字が低い地域で募集する方が勝てそう」

ボブ「勝ち負けではなく、その仕事を続けられる場所かを見よう」

壁には日本地図が貼られていた。ビルは元証券マン時代の板情報を見るように倍率の高低で色を付け、応募が来る方角に矢印を描いていた。実際の仕事は顧客対応と現場訪問が中心で、勤務場所が変われば移動や教育の段取りも変わる。

エビー「色を塗る前に、今いる社員に負担が出るか聞いた?」

ビル「地図に書いてない」

ボブ「地図が全部教えてくれると思うな」

ビル「じゃあ勤務地も、家賃も、応募者の気持ちも全部描き込もう」

エビー「欲しかったのは地図じゃなくて、現場との会話でしょう」

エビー

地図より先に、現場の声ね

一枚の数字の中にある別の場所

厚生労働省が2026年10月30日に公表した9月の一般職業紹介状況では、全国の有効求人倍率は季節調整値で1.19倍だった。就業地別の都道府県最高は福井県と山梨県の1.74倍、最低は大阪府の0.96倍。受理地別では東京都1.71倍、神奈川県0.83倍という違いもある。倍率は対象や集計方法が異なり、採用できる確率そのものではない。

求人倍率、見る場所で変わる

ビル「東京の数字だけ見たら高い。でも神奈川は受理地別で低い。なら県境に机を置けば?」

ボブ「県境に机を置いて倍率を半分ずつ使うのか」

エビー「この会社の求人条件は県境をまたいでも変わらないわ」

ボブ「そもそも就業地別と受理地別は同じ計算結果じゃない。表示が違う理由も理解しないで使わない方がいい」

ビル「数字が多すぎて、どれを選べばいいか分からない」

エビー「都合のいい数字を選ぶより、何を比べたいか先に決めよう」

ビルの面接は遠すぎる

ビルは応募が来ない理由を「地域のせい」と断定し、求人票の所在地を遠方に変更する案を出した。

ボブ「採用できても、実際の勤務地に通えなければ辞退される」

ビル「ではリモートワークと書けば」

エビー「現場訪問する仕事まで在宅になるの?」

ビル「画面越しに現場を訪問する」

ボブ「現物の確認が必要ならそれでは足りない」

エビー「選考の途中で条件が変わるのは、応募者にとって不信の原因になるわ」

ビルは求人票を読み直した。仕事の範囲も必要な技能も曖昧で、「成長意欲がある人」を求める言葉だけが大きく書かれている。

ボブ「応募者が自分に合うか判断できない」

ビル「それは面接で説明する」

エビー「面接まで来るかどうか判断する材料がないじゃない」

博士が求人票を読んだ順番

シルクワーク博士はまず勤務地の欄を指さした。

博士「ここは本当に働く場所を示しているのかね」

ビル「統計を見て有利そうな場所にしました」

博士「有利というのは、誰にとって?」

ビル「会社の採用活動にとってです」

博士「しかし応募者にとっては、生活と通勤、働く時間を決める情報だ。そこを実態と違えては相手が判断できない。数字に合わせて地名を変えるより、正しい条件を伝えよう」

シルクワーク博士

勤務地は、応募者の生活を決める情報です

ボブ「職種によっても求める経験が違います」

博士「そう。全国平均、地域の集計、職種別の需給、個別企業の採用という順に細かくなるほど、別の情報が必要になる。統計は背景を考えるのに役立つが、募集内容を代わりに書いてはくれない」

求人票に書くべき事実

エビー「『勤務地を選べる』と書くなら、本当に選べる体制が要るわね」

博士「その通り。面接でしか明かせない条件を意図的に隠すのは避けたい。希望に合うかどうかを双方が早い段階で確かめることが、無用なすれ違いを減らす」

ビル「なら、応募者が何を大切にしているか全部アンケートで聞こう」

博士「応募前に長い質問を求めれば、それ自体が負担になる場合もある。求人票には必要な条件を明記し、面接では本人の希望や事情を聞く。聞き方にも適切さが必要だ。業務と関係の薄い個人的なことを、会社の都合で掘り下げるべきではない」

ボブ「面接で会社が選ぶだけじゃなく、応募者も会社を評価しますからね」

博士「そう。採用は一方通行の試験ではなく、互いに働く条件を確認する場なんだ」

地図の裏に書いてあったこと

休憩時間、エビーがビルの地図を裏返した。裏には「応募が来ないのは俺が魅力のない経営者だから」と走り書きされていた。

ビル「見た?」

エビー「見えちゃった。これが今日の本題でしょう」

ビル「採用できないと、自分の会社が世の中から選ばれていない気がする。だから倍率の低い場所へ逃げれば、自分への評価を変えずに済むと思った」

ボブ「応募数は経営の課題だけど、社長の人格を採点する数字じゃない」

博士「自分への失望を抱えたまま求人票を書くと、事実より魅力的に見せようとしがちだ。それでは採用できたとしても、入社後の約束が食い違う。期待と現実を近づけることを優先しよう」

エビー「地域を動かすより、社長の中で固定された『選ばれない自分』という思い込みを動かした方がいい」

ビル「その言い方、難しいけど効くなあ」

採用担当への新しい依頼

ビルは修正後の求人票を持ってきた。勤務地は実態どおり。業務の内容と、経験が必要な部分を分け、採用する理由を説明する欄も加えた。

ビル「統計の話は背景として話す。募集条件を加工する理由にはしない」

博士「よいね。採用の記録を残して、どの段階で応募者との認識がずれたのかも確認しよう。ただし少ない応募数から無理に結論を作らないこと」

ボブ「面接を急ぐあまり、確認を省かないように」

エビー「会社も応募者も、納得して選べる方がいいわ」

県境の最後の抵抗

ビル「では全国どこでも働ける『自由な会社』という見出しにします」

ボブ「勤務地はここだけだろ」

ビル「心は自由なんだ」

エビー「求人票に精神世界を混ぜるのは私でもやめる」

博士「仕事の条件には、実際の事実を書こうね」

ビル「じゃあ『魂の勤務地は無限大』」

ボブ「面接で何を説明するつもりだ!」

ボブ

魂の勤務地では、面接できません

求人倍率は労働市場を把握する手がかりだが、応募者が仕事を選ぶ基準の代わりにはならない。地域の倍率に振り回されるより、働く場所、仕事内容、待遇、選考の流れを正確に示すこと。採用の難しさを社長個人への否定と受け取らないことが、落ち着いた人材戦略につながる。

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出典

厚生労働省「一般職業紹介状況(令和8年9月分)」(2026年10月30日公表)

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