謝罪会見の練習は早すぎる
エビー「ビル、どうして会議室が記者会見場になっているの?」
ビル「最近の漏えい事案について注意喚起が出たからさ。もしもの時に備えて謝罪の練習をする」
ボブ「備えるのはいい。ところでうちで漏えいは起きたのか?」
ビル「まだ分からない。でも僕の謝罪は完璧にしておきたい」
エビー「まさかマイクまで買ったの?」
ビル「三本。謝る角度によって声の響きが違うから」
ボブ「機材の選定より、状況の確認が先だろう」

機材より、状況の確認が先
ビルは机に「大変申し訳ございません」と書いた台本を広げていた。文章には、原因や影響範囲がすでに判明したかのような一文まである。元証券マンとして危機対応の速さを大切にするあまり、「早く頭を下げる」ことが最善の対応だと信じていた。
ボブ「原因は確かめたのか」
ビル「いや。でも原因不明のままだと、見苦しいだろう」
エビー「原因を知らないことと、都合よく決めることなら、後者の方がずっと危ないわ」
誰に何が起きたのか
ボブはホワイトボードを二つに分けた。左側には「確認済み」、右側には「調査中」と書く。確認済みの欄には「公的な注意喚起を読んだ」とだけ記した。
ビル「右側が広すぎる」
ボブ「それが現状だ。誰の情報が、どのシステムで、どんな状態になったか、まだ確かめていない」
エビー「お客様が本当に知りたいのは、謝罪する社長の姿勢より、自分に関係する事実でしょう」
ビル「謝れば少しは安心してもらえると思った」
ボブ「根拠のない説明を添えた謝罪は、かえって混乱する」
個人情報保護委員会は2026年10月7日、大規模な漏えい等事案を踏まえた対応について注意喚起を公表した。公表された注意喚起は、個別の企業で新たな漏えいが発生したと認定するものではない。具体的な事案が発生した場合には、内容や法令上の要件に応じて、調査や必要な報告・通知などの対応を検討する必要がある。

ビル「『事案が発生した場合』と『注意喚起を読んだ場合』を混ぜていたんだね」
ボブ「そう。健康に関する警報があっても、目の前の患者の診断は別にするのと同じだ」
エビー「お客様への思いやりがあっても、確かめていないことを言い切ってはいけないのね」
台本の空欄をどう扱うか
ビル「じゃあ『調査中』だけの会見を開こう」
ボブ「会見を開く必要があると決まったのか?」
ビル「何もしないと隠蔽だと言われそうで」
エビー「ビルはお客様より、自分への世間の評価を先に見ている気がする」
ビル「悪く見られたら終わりだと思う。証券の仕事でも説明責任は厳しかったし」
ボブ「説明責任は、急いで何でも言う責任じゃない」
エビー「正しく言えることを増やす責任ね」
シルクワーク博士が到着したとき、ビルは謝罪の角度を鏡で確認していた。
博士「頭を下げる練習は上手になったようだね。だが相手の疑問に答える準備はできたのかな」
ビル「まだです。起きていないかもしれないことまで説明しようとしていました」
博士「危機対応では、事実の把握、被害拡大を防ぐ対応、関係者への説明を整理する必要がある。担当者と専門家の知見を使い、時点ごとに確認した内容を記録するんだ。必要な報告や通知は、法令の定める条件に照らして判断しなければならない」
ボブ「調査中のことは、調査中と示す」
博士「そう。事実を隠してはならないが、確認できていないものを確定情報として出すことも避ける。公表の仕方や時期は影響を受ける人の立場で考えよう」

確認できていないものを、確定情報にしない
エビー「もし本当に漏えいが疑われたら、社長が会見練習を続けている場合じゃないわ」
博士「そのとおり。技術的な調査、法令上の検討、利用者への対応を必要に応じて並行して進める。大切なのは一人で英雄になることではない」
謝罪したかった本当の相手
夕方、ビルは背景幕を片付けながら言った。
ビル「実は、もし事故が起きたら社長として全部自分が悪いと責められるのが怖かった。だから、誰より先に謝った実績を作っておきたかったんです」
エビー「謝る前に守るべき人がいる。その人たちが見えなくなるくらい、評価が怖かったのね」
ボブ「恐怖は判断の材料じゃない。誰が困っているかを確かめよう」
博士「責任を引き受ける姿勢は大切だが、正しい対応をすることが先にある。君の評判を守るための会見と、利用者に必要な情報を届ける説明は別物だよ」
ビル「謝罪のうまさではなく、調査と対応の中身が問われるんですね」
最後のマイクテスト
ビルは会見場の撤去を頼んだ。ところが翌日の朝礼で、また三本のマイクを並べていた。
ボブ「今度は何を謝るんだ?」
ビル「未確認の事件について謝ろうとしたことを謝りたい」
エビー「謝罪を増やして安心しようとしていない?」
博士「その反省は、まず担当者に正確な確認を依頼する形で示せばよい」
ビル「じゃあ『謝罪をやめる会見』を」
ボブ「会見依存症か!」

会見に依存しすぎです
エビー「マイクは片付けなさい」
経営者が危機に敏感であることは重要だ。しかし「早く謝れば立派」と考え、未確認の原因や被害まで話すのは危険だ。誰に何が起き、何がまだ分からないかを整理し、必要な対応と説明を確実に進める。ビルのように評判への恐怖を先に置かず、情報を必要とする人を中心に考えたい。

個人情報の取扱いのルールや相談先は、個人情報保護委員会が案内しています。
出典
個人情報保護委員会「大規模な漏えい等事案を踏まえた対応について」(2026年10月7日)
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