消えかけた会社の玄関
金曜日の午前、ビルはサイト管理画面の「削除」の文字に指を置いた。
ビル「セキュリティの穴が見つかったそうだ。うちのサイトを今すぐ消す。無敵の会社に生まれ変わる!」
ボブ「消してどうやって問い合わせを受けるんだ」
ビル「電話がある」
エビー「電話番号はサイトに載っているわ」
ビル「じゃあ電話番号だけ紙に印刷して街で配ればいい」
ボブ「オンライン事業をチラシの行商に戻すつもりか」
元証券マンのビルにとって、赤い警告表示は相場の急落よりも耐えがたい。見慣れない技術用語が並ぶと、自分だけが危険を理解していない気がする。そこで開発担当に質問する代わりに、削除という最も大きな操作を思いついた。
エビー「今、あなたは何が危ないと理解しているの?」
ビル「PHPという名前だ。名前からして攻撃的じゃないか」
ボブ「プログラミング言語を人相で判断するな」
ビル「分からない技術が裏で動いていること自体が嫌なんだよ」
サイトの向こうには普通の仕事がある
エビーは顧客の問い合わせ記録を開いた。製品の仕様を調べている人、営業時間を確認する人、過去の記事を読んで連絡してくれた人。サイトを消すと彼らに届く情報まで消える。
エビー「危険への対応は必要かもしれない。でも、何も調べず削除すると無関係な人にも影響する」
ビル「じゃあ警告文を大きく表示する。『当社は恐ろしい脆弱性と戦っています』」
ボブ「本当に対象かも分からないのに、余計な不安を広げるぞ」
エビー「危険を隠すのも駄目。でも、まだ確認していないことまで事実のように言うのも違うわ」
ここでボブは、医者としての経験から例えた。健康に関する一般的な注意喚起を読んだからといって、全員が同じ病気にかかったと決めることはできない。症状、条件、検査を区別して考える必要がある。
ビル「つまりサイトにも検査が要る」
ボブ「そう。対象となるソフトウェアやバージョン、設定を調べる。侵入の有無を調べるのは、また別の話だ」
ビル「急に専門的になった。頭が痛い」
エビー「頭痛とサイトの脆弱性を一緒に治療しないでね」

別々に治しましょう
管理者に送った最初のメール
ビルは制作会社に次の文面を打った。「どうして危険な仕組みを使っているんですか。全部撤去してください」。ボブが送信前に止める。
ボブ「何を使っていて、どの情報が影響するかも聞いていない」
ビル「質問したら詳しくないとバレる」
エビー「詳しくないと知られるのが怖くて、先に相手を責めていたのね」
ビル「そうかもしれない。社長として頼りなく見えるのが嫌だった」
エビー「なら『対象のバージョンか確認したい』『必要な更新は何か』と聞こう。知らないことを隠すための怒りはいらないわ」
管理者への連絡を修正した頃、シルクワーク博士が現れた。ビルは博士に削除ボタンを見せた。
博士「君はこのボタンで何を守ろうとしたのかな」
ビル「顧客の情報と会社の信用です」
博士「それなら、消すか残すかの二択から始めなくてよい。IPAが公表する脆弱性情報は、対策を検討するための重要な材料だ。しかし自社が影響を受けるかは構成やバージョンを確かめなければ分からない」

ビル「どの画面を見れば分かるんですか」
博士「環境によって確認方法は異なる。管理者と協力して構成を把握し、更新、バックアップ、ログの確認など必要な対応を検討するのだよ。侵害の疑いがあれば証拠の保全も大切になる。勝手に削除すると確認に必要な情報を失うおそれもある」
ボブ「取り消しの利かない操作ほど、誰が責任を持って進めるか決めるべきですね」
博士「そのとおり。顧客への案内が必要な状況なら、何を確認できたかに基づいて説明しよう。未確認の被害を断言したり、絶対安全と約束したりしないことだ」

説明は、確認できた事実の範囲で
更新が終わるまでの社長の仕事
ビル「管理者が調べている間、僕は何もできないのか」
博士「君にできることはあるよ。誰が状況をまとめ、緊急時に誰へ連絡し、事業をどう継続するかを整えることだ。技術的な対応と経営上の連絡を混同しない」

エビー「待つ時間を、責任放棄と感じなくていいのね」
ボブ「それに、制作会社へ不合理な指示を繰り返せば調査の邪魔になる」
ビルは少し考えてから、顧客窓口の対応手順を確認し始めた。サイトを守ることは、画面に指を置いて大胆さを示すことではないと気づいたのだ。
その夕方、管理担当から環境の確認状況が届いた。判断に必要な情報は揃いつつあったが、ビルにはまだ時間がかかっているように感じられた。
ビル「博士、今日一日で一番難しかったのは削除しないことです」
博士「不用意に操作しないという選択にも責任がある。決められないことを放置せず、確認の担当と期限を持つのだよ」
新しい警告表示
翌朝、ボブが管理画面を開くと、トップページの上に巨大な文字があった。
『当社社長は現在、危険なボタンを押さない訓練中です』
ボブ「誰がこれを書いた?」
ビル「顧客に安心感を届けたかった」
エビー「社長の自制心の実況はお客様に必要ないわ」
博士「技術の説明をするなら、確認できた事実に限ろう」
ビル「じゃあ文字を半分にする」
ボブ「文字の大きさの問題じゃない!」

自制心の実況中継は不要!
脆弱性の報道に接したとき、最初に問うべきは「全部消すか」ではない。自社の環境が対象か、誰が判断できるか、どの業務に影響するか。詳しくないことを恥じて大きな操作に逃げるより、適切な担当者と条件を確認する社長の方が会社を守れる。
IPAは、中小企業の情報セキュリティ対策の情報を公開しています。働く人の心の不調や相談先については、厚生労働省の「こころの耳」に情報がまとめられています。
出典
IPA「PHPの脆弱性対策について」(2026年11月2日更新)
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