優勝杯の横に穴を掘る
契約目標を達成した翌朝。ダイナーの椅子の上に、エビーが巨大な黒い布を広げていた。
エビー:「ここがビルの心の穴よ。宇宙のエネルギーが抜けている!」

ここがビルの心の穴よ
ボブ:「朝食を食べる場所に穴を作るな」
ビル:「でも変なんだ。昨日はあんなに嬉しかったのに、今日は何をしても盛り上がらない」
エビー:「じゃあ穴の底に新しい目標を投げよう!」
ボブ:「成功したばかりの人に、次のノルマを投げ込むな」

成功した人に、次のノルマを投げ込むな
ビルは昨日の祝賀用の紙吹雪を見つめていた。喜びが続かない自分は、ぜいたくなのだろうか。そんな考えが、気持ちをさらに重くしていた。
空虚感とは何なのか
空虚感とは、心の中に何か足りないような、満たされなさや手応えの薄さを感じることを指す。日常的に使われる感覚の言葉であり、それだけで特定の病気を判断するものではない。目標を追っている間は予定と役割がはっきりしていても、達成した瞬間に「次に何をするか」が分からなくなることはあり得る。ただし達成後には必ず空虚感が生じる、という根拠のない一般化は避けたい。

エビー:「目標という電球が消えたから、新しい電球を百個つければ」
ボブ:「明るすぎて眠れなくなるぞ」
ビル:「じゃあ世界一大きな事業計画を今朝作ろう」
ボブ:「今ある気持ちから逃げるために、将来の予定を過剰に増やさない方がいい」
エビー:「心の穴を工事で塞ぐ前に、何が足りないと感じているのか聞こう」
喜びが終わるのは失敗か
ビルは祝賀会の写真を見た。笑っているのは確かに自分だ。ところが今朝は、電話を返すのさえ気が重い。
英国NHSはストレスによって気持ちの圧倒される感覚や集中困難、眠り方の変化などが起こり得ると説明している。目標達成まで無理な日程を続けていたなら、疲れの可能性も考えたい。しかし、写真から本人の心理状態を診断することはできない。
ボブ:「達成前は休めていたの?」
ビル:「休むと目標が逃げると思って、ずっと忙しかった」
エビー:「今ならやっと休めるのに、休む理由がなくなったと思っているのね」
ビル:「休み方を知らない社長って、格好悪いかな」
ボブ:「格好の話ではないよ。休みが必要なら休む。大切なのは今の状態を見て決めることだ」
『まだ足りない』を売る店
エビーは自分で描いた「心の穴埋めメニュー」を出した。新しい目標、巨大な表彰状、宇宙との対話、豪華なパフェ。ビルは全部注文しそうになる。
エビー:「私が作ったのに言うけど、これは自分でも少し怪しい」
ボブ:「よく自覚したな」
ビル:「パフェだけなら?」
ボブ:「食べたいならいい。ただし空虚感を治すと約束するものじゃない」
英国NHSの自己評価に関する案内は、自分に極端に高い基準を課す人や否定的に捉えがちな人がいると説明する。成功のあとで「まだ足りない」と自分を責める感覚は、今までの努力の価値を消す証拠ではない。
ビル:「達成したのに満足できない自分も、ちゃんと受け止めていいのか」
エビー:「『嬉しくなければ失格』って、新しい試験を作らないでね」
博士が穴を測らない理由
シルクワーク博士は黒い布を片付ける手伝いをした。
博士:「穴の大きさを測る前に、昨日まで君が何を大事にしていたかを聞こう。数字を達成することか、誰かと仕事を形にしたことか、挑戦している時間か」
ビル:「お客様に使ってもらえる仕事を作るのが楽しかった。でも毎日忙しくないと価値がないと思っていた」
博士:「なら、目標と価値観を分けて考えられるね。目標は達成したら区切りが来る。自分が大切にする働き方や人との関係は、その後も残ることがある」

エビー:「空虚さを急いで消すのではなく、今までどんな気持ちで働いていたか知る時間なのね」
博士:「そうだね。ただし強い落ち込みや興味の喪失が長く続き、睡眠や仕事に影響するなら専門家に相談してよい。米国NIMHは、興味の低下や日常の機能への支障などを支援の目安として示している。空虚感を一つの原因だけで説明しないことだよ」
ボブ:「目標達成のあとだから病気だ、と決めつけるのも違う」
博士:「うん。経験する感覚をそのまま言葉にし、必要な支援を考えよう」
次の目標を立てない午後
ビルは手帳の新しいページに「今日は祝賀会の片付けと、今まで手伝ってくれた人への礼状」と書いた。エビーは宇宙の絵を描く手を止めた。
エビー:「私も黒い布をしまうわ。穴を見せるには大げさすぎた」
ボブ:「今日は静かに食事をしてもいいと思う」
ビル:「静かな時間に慣れていないんだ。つい仕事を探してしまう」
博士:「その衝動に気づけたなら十分。今の自分に必要なことを考えてみなさい」
『もう一度達成する』以外の会話
エビーはビルに、祝賀会で最も印象に残っている場面を尋ねた。ビルは売上の数字ではなく、初めての取引先が笑顔で挨拶してくれたことを話し始めた。
エビー:「数字の達成が嬉しかったのと同じくらい、人と話した時間も大事だったのね」
ビル:「その瞬間のために仕事をしていたかもしれない。でも、目標が達成されると次はもっと大きい数字が必要だと思ってしまう」
ボブ:「数字が役割を果たしたことと、すぐに次の数字を置く必要があることは別だよ」
博士:「大きな目標を持つことを否定しなくてよい。ただ、それだけが自分の人生の意味だと思うと、数字が止まった日に心の足場を失いやすい。仕事以外にも自分が大切にしたいものがあるか、確かめてみよう」
ビルは今夜の予定に、会議でも商談でもない夕食の約束を書き込んだ。空虚感がすぐになくなったわけではない。しかし、それを理由に慌てて新しい事業を買うことはやめた。
エビー:「心の穴がある日でも、温かい食事は取れるものね」
ビル:「大きな成功の次の日に、普通の一日があってもいいんだな」

大きな成功の次の日に、普通の一日があってもいい
穴の代わりにできたもの
翌朝、ビルが机の下からスコップを出した。
ボブ:「何を掘るつもりだ?」
ビル:「心の穴を埋めないと決めた。だからダイナーの床に本物の穴を」
エビー:「比喩を工事にしないで!」
博士:「感情の話は、建築許可の話とは別だよ」
ビル:「それならスコップを花壇に使おう」
ボブ:「初めからそうしてくれ」
語録「空虚感」 https://kyou-ichinichi.com/glossary-052/ にも言葉の整理がある。達成の翌朝、すぐに高い目標を足して空虚感を押し隠す必要はない。何を失った気がするのか、何を大切にしてきたのかを丁寧に扱い、休息と人とのつながりを見直すことが一つの選択肢になる。
出典
米国NIMH「My Mental Health: Do I Need Help?」
英国NHS「Raising low self-esteem」
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